この5月から、ついに次女が私を卒業して、他のピアノ教室へ通うようになりました。そのあとの話を書いてみました。思いのほか、じんわりと喜んでいる母の気持ちです。
遊園地のアトラクションが求める異空間異次元体験とピアノで味わう体験。
ちょっと重ねて表現してみました。
いずれにしても、人々の求めるものは遠くて近い、非日常感なのだろうと思います。
今年の夏休みも昨年に続き、ピアノ指導研究に集中する数日間をゲットできました。自分でも驚くほど熱心な勉強ぶりなのですが、生徒がピアノを習う究極な目的があるとしたら、「上手に弾けるようになること」ではないだろうと感じています。そんなことを少し書いてみました。
コロナ禍ではおうちで楽しめるピアノの人気が上がったようですので、ピアノの楽しみ方も広がっていることでしょう。珍しくポップスを弾いています。ゴダイゴの「銀河鉄道999」美しくて楽しくて名曲だと思います!
前回に引き続き、アレクサンドル・ケディケのピアノ曲をご紹介します。
初歩の教材には珍しいほどの「異空間」を感じさせる曲でして、ロシアのピアノ教育って凄いな!と改めて感じております。
ずっとピアノを弾いたり教えたりしていても、これでわかったということはなく、音楽って一体なんだろう?と思うことは尽きません。そして、ピアノを習うということの生徒さんへのメリットも千差万別ですね。
先週は二回音楽会を体験してきまして、その感想を書いてみました。それから、我が家のことを少し。心温まる話を書いたつもりですので、どうぞご覧ください。
おかしな言い方かもしれませんが、音のない「沈黙」の時間は、実は音楽に近いと思います。二人で過ごす時間があるとして、「沈黙」はしゃべっている以上に情報を伝えてしまう気がします。沈黙って実は凄いのではないでしょうか。
ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽は魅力的だと思います。とっつきにくいところもありますし、演奏も難しいと思います。生徒さんにバッハに親しんでもらうために私も勉強しなくては!と思っています。
音楽に限らず、何をするにも「私」を表現しようとする行為の行き着く先は迷走だ。美しくないし、むしろ苦しい。反対に「私」を手放して生きるとうまくいくし、楽しい。そんなことを書いてみました。