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ピアノという習い事。その展開は色々です!
最初は何気なくピアノを習い始めたところ、進み方が速く、周囲の子たちより明らかに上手になってゆくのが見て取れる。
そんなケースがあると思います。
そこで親子共々考えてみる。
コンクールに出てみようか。
とか、
将来音楽の道へ進む事を検討してみようか。
とか。
コンクールで入賞を競い合える子たちのレベルはとても高いので、上には上がいる!と実感します。
そこで切磋琢磨する。
胸を借りるようなチャレンジ精神で面白く練習できれば幸運です。
でも、本当に上には上がいる。どこまで行っても、更にその上があり、自分の現状を克服しなければならない。
課題は続く・・・・・
私の経験上で言うと、この切磋琢磨には微妙なコントロールが必要だと思います。
音大ピアノ科を卒業した友人の中には、卒業後ピアノから逃げてゆく人がたくさんいたように思います。
楽しくて弾いていたピアノが、挑戦するピアノに変化してゆき、如何に自分の価値を認めてもらうかの勝負となり、
自分の能力の低さに傷ついたりしているうちに、ピアノに劣等感がまとわりつくようになる。
何を隠そう私自身にも、自分の能力に対する劣等感とピアノの世界への嫌悪感がありました。
本当はもともと凄く音楽が好きで好きでたまらなくて、それでピアノを専門にしたいと思った人たちばかりの音大です。
人と比べたり、他人からの評価とは切り離して、純粋に音楽と戯れることを続けられる学びでありたいと思います。
そこで、今私のレッスンでも、そういうことは起こります。
できないこと→ ×
できること → ○
こういう構図にならないような声かけをしたいと思います。
ピアノの練習はどう考えても、努力の連続です。
出来ないところを出来るようにするための、練習に続く練習。
そこで、こうなるように仕掛けたいと思います。
できないことをできるように練習できること→ ◎
もともとできる → ○
音楽は理屈抜きに楽しいので、弾けたときはみなさんホントに嬉しそうです。
とても器用な生徒さんはすぐに弾けます。
器用な生徒さんは少しの練習で弾けます。
不器用な生徒さんはたくさん練習するとやっと弾けます。
どれも同じくらい素晴らしいです。
でも、人生はうまくいかないときにこそ、その人の総合的な実力が試されます。
辛い局面でこそ、劣等感を振り払って前向きに進んでゆける精神力が必要です。
そういう意味では、不器用な生徒さんの方が、総合的な力を収穫をしているかもしれません。
根気よく一歩一歩進むこと、必ず出来るようになることを信じ続けて進むこと。
そういうスモールステップを一緒に歩むこと。
進みが遅くても先生の方がイライラしないこと。
器用な、才能豊かな生徒さんでも同じです。
必ず上には上がいるから。
ある人が20回で弾けるようになるパッセージを、ある人は50回、ある人は100回。
あっという間に見事にできる人。
1ヶ月かかってようやく弾ける人。
3ヶ月かかってようやく弾ける人。
本当に、価値は同じです。
ピアノを通して学ぶことって、ピアノ以外のことで生きてくることも、色々あるなぁと思う今日この頃です。
生徒さんの将来が力強く楽しく豊かなものとなることを願ってレッスンしたいと思います。
立川市 ピアノ教室ソラージュ