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心のこもった演奏ってどんな意味かな。

今日もこのブログへ来てくださり、ありがとうございます!

 

大人の生徒さんで、志の高い方がいらして、その方との会話をきっかけに考えてみたことがあります。

今日はそれを書いてみます。

 

その生徒さんはライフワークとして音楽活動をされていて、更なるステップアップを求めてやってきました。

今取り組んでいるのはソナチネを古典的にスッキリ弾く練習です。

レッスンの回数を重ねるごとに進化していく様子に感心し、私もやりがいを感じるレッスンとなっています。

忙しいお仕事の合間を縫って練習していながら着実に成果を見せるのは本当に凄いことです。

 

彼女の演奏に、私が率直な意見として「無機質でなく、心のこもったよい演奏です」と伝えたことがあります。

すると奇妙な表情をして「うーーん、、心こもっていますか?」という返答がありました。

つまり、

「ソナチネを古典的なルールに乗っ取って演奏することだけに必死だから、心をこめて弾くところまで行っていないはず」

このような意味だったようです。

古典派を弾くときのルールをたくさん言われていて、それらに束縛されてがんばって弾いている段階だから、まだ自由に

楽しんで弾いてはいないし、ぎこちないし、仕上がった感じでもないし・・・・。ということですね。

とても正確な自己判断が素晴らしいと思いました。

 

そんな会話のあと、「心を込めて弾く」とはどんな状態を言うのだろう、と考えました。

芸術的に見事に仕上がっていなくても、拙い演奏でも、心がこもった演奏ってたくさんあるなぁと思いました。

 

その作品はもっと優れたことを求めているかもしれない。

たとえば、

音の質

音と音の間の緊張と弛緩

和声の変化

リズムの躍動感

とか。

 

それらの要求に「その通りだな!」と納得すると、まだ弾けてなくても「嬉しい」と感じてしまいます。

練習しているときは、イメージ通りではないけれど、頭の中ではもっと生き生きとした曲が流れています。

この「嬉しい」という感触があれば、「心がこもっている演奏」だと言ってよいと思いました。

 

音楽作品はある意味「独立した生き物」です。

自分がその作品に対して「反応」を起こしていうとき(つまり好き!と思っているとき)

作品の命と自分の命が共鳴し合っているのです。

この共鳴が、心がこもっていることと同義だと思います。

 

この共鳴が尊い。

人それぞれ共鳴を起こす作品は違うし、タイミングというものもあるので、その時の流れに任せてよい。

 

まだうまく弾けてなくても、「良い曲だなぁ」と思ってピアノを弾いている状態のときは、

私たちは「愛している」状態です。心が自分の殻を超えて溶け出している!

だから、気持ちよくピアノを弾けているだけでも、そのままで「ゴール」している。

音楽の役割は愛を起こすことだから。

 

 

 

「心を込めて弾いて、自分が気持ちよくなっていること」

これがとても大切なんだよ!と

もっと言葉で伝えていこうと思いました。

 

私のレッスンは出来るようになるための仕掛けをたくさん作るので、

出来るようにならなくっちゃと思わせてしまいがちですね。

出来ないままでも楽しければそれも素晴らしいよ!というメッセージも、折に触れて伝えていこうかな。

そんなことを思った次第です。

 

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

 

立川市 ピアノ教室ソラージュ