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今日のお話は、1675年生まれ、1750年没の音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハのお話をしたいと思います。
バッハは一生涯中北部ドイツにて活動し、ドイツの外へ出ることはありませんでした。
バッハ家は代々音楽家を生業とする家系で、その歴代の音楽家の中でもヨハン・セバスチャンは超ヘビー級の天才でした。
彼の仕事は、キリスト教の教会で行われるミサ(儀式)で使用する音楽の作曲と演奏の指揮を司ることに始まり、転職後は、
宮廷貴族のおかかえ音楽家として活躍し、その後再び教会の音楽総指揮官として活躍しました。
つまり当時の社会に応じた「音楽プロデューサー」です。
家庭では、彼は子だくさんです。奥さんは一人目の方を亡くされた後に二人目の方を迎えたので、二人。
子供たちの音楽教育に熱心なパパ兼音楽の先生でもあったようです。
今と違って、自分の功績を発表する場が少ないし、印刷技術は手書きのみ!
次々と生み出される傑作たちですが、それらの出番は一回か二回演奏するとお役御免。
作品の芸術性を評価され、コンサートなどで再演されるということはありませんでした。
イベントのための、1回きりの音楽だったなんて、もったいないこと!
楽譜が残って後生に伝えられて本当によかったと思います。
お読みくださり、ありがとうございました!
立川市 ピアノ教室ソラージュ